tag:blogger.com,1999:blog-2265296181045840641.post8523244422814412885..comments2022-03-31T03:28:52.370+09:00Comments on Hermeneutic Log J: 単一民族国家論と強制同化、拡張主義との関連Hermeneushttp://www.blogger.com/profile/10973908328694079056noreply@blogger.comBlogger1125tag:blogger.com,1999:blog-2265296181045840641.post-74004056867507227462012-06-05T14:52:32.554+09:002012-06-05T14:52:32.554+09:00凡庸なポイントかもしれませんが、「単一民族国家論」は「封建制から資本制への移行」問題から切っても切り...凡庸なポイントかもしれませんが、「単一民族国家論」は「封建制から資本制への移行」問題から切っても切り離せない着想なのではないでしょうか。そして、この「移行」は進歩史観がいうような直線コースでも単純な段階論的なものでもなく、史的・地域的特殊性に沿って螺旋状のような形で国家統合や階級闘争を経てあらわれてくるように思われます。網野史観でよくいわれる概念としての日本国家概念の成立ーーあれは確かに資本制に先行するヘゲモニー形態の「神話」ですが、その神話は明治国家という近代資本主義国家形成にも、その藩閥官僚政治の要素と一時的には対抗する土着的革命を目指す革新的ナショナリズムにも貢献することになる。無論、これは第三世界革命論の場合も、幕府に立ち向かう民族闘争の場合も然り。フィクションの世界に飛びますが、後者においては、船戸与一が『蝦夷地別件』で描きたかったのは幕府という中央集権的国家権力に対するアイヌ民族主義という革命神話の可能性ではなかったのか。つまり、「単一民族」の理念は国家に癒着することもあるし、反国家的革命に転化することもある。ただし、難しいのは、こういった革命が成功しても、新たなる国家統合と経済搾取のプロセスに再び組み込まれてしまう危険性が常に潜んでいること(ご多分に漏れず、20世紀革命の殆ど全てはこの運命を辿っている)。sosnoreply@blogger.com