|
||
About
TB People
政治・社会思想
Blog portals
|
Tuesday, February 19, 2008
"Benevolent Assimilation" 少数民族が存在するので、日本国を単一民族国家と呼ぶのは厳密には正しくない。それ以前の問題として、交通が発達し、国家間を容易に行き来できるようになった現在、純粋な意味での単一民族国家は存在しえない。 なお「単一民族国家思想」への代表的な批判者としては、小熊英二が挙げられる。 などとアホウなことが書かれたまま編集保護になっている。先日のエントリで見たように、単一民族国家発言で問題とされているのは、単にアイヌ民族が存在することを知らなかったという無知あるいは事実誤認ではない。問題なのは、アイヌの存在を知っていながらも、その土着民族としての固有のアイデンティティを認めていないと受け取られたから、それがかつての皇民化教育による強制同化政策の延長にあると捉えられたからである。(小熊もまさか「アイヌが存在するから単一民族国家論は誤りだ」などという間の抜けた指摘をするためだけに450頁にも渡る大著を著したわけではあるまい。) しかし、単一民族国家論を民族的自主性の軽視・否定や強制同化政策に関連づける批判についても、少々疑問な点がある。この関連を検証する前に、また単一民族論の定義を改めて見てみよう。今回は国語辞典ではなく小熊英二著『単一民族神話の起源』を引く: 単一民族神話と呼ばれるものには、二つの側面がある。一つは、「日本国家は同一の言語・文化をもつ日本民族のみから成立している」という、国家の現状認識である。そしてもう一つは、「日本列島には太古から、単一純粋な血統をもつ日本民族だけが生活してきた」という、民族の歴史認識である。もちろん両者は厳密にはわけられるものではなく、単一民族神話を唱える側も批判する側も、両者を混在させて論じているといってよいだろう。 つまり、小熊によれば、単一民族神話における「単一」には:
という二重の意味があるということである。この定義をふまえて小熊は、20世紀初頭の日本の拡張主義とその一環として行われた強制同化政策を支えたのは単一民族論ではなくむしろ混合民族論であったと指摘する。日鮮同祖論などがその最たる例で、要は、アジアの諸民族は皆同じ祖先を持つ兄弟であり、それゆえ欧米の帝国主義に対抗する為、天皇陛下のもと一致団結して巨大帝国を築くべきであるとされた。大日本帝国を構成する大和民族も朝鮮民族も支那民族も全て血縁であるから同じ「日本人」ではあるが、少々の差異は存在する故、それを矯正するために同化政策が施されたという。一方、戦中・戦前の単一民族論は、むしろ日本民族の純血の維持を唱えたため、同化の逆の隔離政策(優生学)、拡張の逆の孤立政策を支持していた。 単一民族論が以上のように定義されるなら、今日アイヌ他の活動家達が日本の政治家の「単一民族国家」発言を強制同化政策と関連づけて批判しているのは、誤りということになる。 単一民族論は、戦争に負けて多民族帝国が崩壊し、異民族人口が国内から消え去った後の日本で興隆した思想であると小熊は言う。その一例として三島由紀夫の「文化防衛論」を挙げている: 三島由紀夫の「文化防衛論」は、保守単一民族論の典型の一つだった。彼は津田ち和辻の文化共同体論や象徴天皇制論を引用して、「日本は世界にも希な単一民族単一言語の国であり、言語と文化伝統を享有するわが民族は、太古から政治的統一をなしとげており、われわれの文化の連続性は、民族と国との非分離にかかっている」と主張した。三島によれば、「敗戦のよって現有領土に押しこめられた日本は、国内に於ける異民族問題をほとんど持たなく」なり、「在日朝鮮人問題は、国際問題でありリヒュジー(難民)の問題であっても、日本国民内部の問題ではありえない」(358頁) 戦後の単一民族論における「単一民族国家」とは、同化政策の果ての、度重なる雑婚の産物としての単一民族ではなく、単に日本が戦争に負けて外地と異民族人口を殆ど失ったことによりもたらされた状態(残ったのは日本民族と日本列島だけ)でしかない。そして、領土拡張主義を正当化する為にアジア諸国の土着民族を血縁と見なし帝国に組み込む必要が最早無くなったため、日本民族は純血(単一の起源)でも良いことになった。こうした文脈で中曽根や鈴木らが「単一民族」発言をしていたのならば、混合民族論との関わりが深い強制同化政策などは念頭に無かったことになる…彼らの発言にしっかりとした思想的裏付けがあったのかどうかは不明ではあるが。(続く) Labels: 哲学 この記事へのコメント:
Subscribe to Post Comments [Atom]
|
Calendar
Search
Categories
Previous Posts
|