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Monday, January 14, 2008




秋山
「反骨の柔道王」
自分は格闘技ファンということもあり、格闘技選手に関しては少々見る目も甘くなり勝ちになる。それでも、柔道時代の石鹸道着問題、桜庭戦でのクリーム塗布騒動と続けば、悲しいかなもう弁護できる範囲を超えてしまっている。

日本社会において彼は少数派の被差別側の人間だ。こうした不祥事に関しては、世間の目は一般日本人に対するよりも自然と厳しくなる。むしろ優等生を演じるくらいで丁度いいのに、不祥事を二度も繰り返してしまうというのは、ありえないだろう。少数派出身の有名人は、問題を起こしたら同じ少数派に属する他の人にもバッシングがふりかかってくるのだから、最低限の品位は保つ責任くらいあるのではないだろうか?

無論、仮に秋山の事件のおかげで在日のイメージが悪化し、何らかの差別的な扱いを被った人がいたとしても、直接的に悪いのはその差別を行った人間であって秋山ではない。憲法で保証されている個人主義的な平等の理念に厳密に照らせ合わせれば、それは不当な差別でしかない。しかし、現実の人間社会は原子のようにバラバラな個人だけで形成されているわけではない。人間社会は家族、民族、地域共同体、国家、教会、会社など、様々な相互扶助の集団ユニットで成り立っており、その構成員にはしばし連帯責任が問われる。逆に、例えば在日出身で社会的に成功した人物がいれば、他の在日同胞の人々も誇らしく感じ、世間における在日のイメージが向上すれば彼らも恩恵を受けるわけだが、そういう「連帯責任」については当然ながら誰も文句など言わない。それどころかロールモデルとして肯定的に捉えられている。良いことが起こった場合にだけ皆で恩恵を受けて、悪いことが起こった時には別個の個人だ、一緒に扱うのは不当な差別だ、などというのも少々都合が良すぎるだろう。勝手にある集団の一員であると認定されて連帯責任を負わされてしまったのなら問題だが、自由意志で自らその集団の一員であり続け、そう自認しているのであれば、その程度の責任を問われてもやむを得ないだろう(国民としての義務並の責任とは言わないまでも)。特に秋山は韓国におけるデニス・カーン戦後に「わが大韓民国最高!」と自身の民族的ルーツをアピールしているくらいなのだから。

少数派出身だからといって皆が優等生のアンクルトムを演じなければならないなどとまで要求すれば、それは酷な話ではある。全員がマイケル・ジョーダンになれるわけではないし、体面など気にせずデニス・ロッドマンのように自由に生きたい人もいるだろう。差別待遇もヘイトクライムのような極端な差別に至れば大きな社会問題であり、「連帯責任だ」などと言って看過されるべきものではない。しかし、「見る目が厳しい」程度の差別待遇であれば、それはどんな社会においても避けられない定めのようなものであり、ある程度は甘んじて受け入れて生きていかねばならないのではないだろうか? これは民族に限らず他の少数派についても言える。全ての属性において多数派の人間などそういないのだから、程度の差はあれ、それは誰しもが経験する社会の現実だろう。

少数派の有名人の起こした問題は、もとからその少数派グループにつきまとうネガティブなステレオタイプをさらに強化しかねない。昨年、ゲイのカップルが養子にとった男児を性的虐待した事件があったが(BBC: Foster carers jailed over abuse)、そんなことしたらもう本当に取り返しがつかない(欧米にはゲイ=小児性愛者という偏見がある)。これまで性的少数派の人たちが地道にイメージ改善して来た努力があっという間にパーである。こういう事件は実にやるせない。少し前には、格闘技=粗野で乱暴という偏見もあった(参照:袴田事件ルービン・カーター事件)。そうした点からも、少数派の有名人は殊更行動に気をつけないといけない。

少数派出身の人間が不祥事を起してしまった後の弁明は本当に空しいものがある。例えば外国人犯罪はどの国でも排他主義の格好のネタだが、「メディアが外国人犯罪だけをセンセーショナルに取り上げる、日本人が同じ犯罪を犯した場合よりも厳しく非難しぎる、差別だ」などと文句を言っても、「犯罪者」を「そんなに言うほど悪くない犯罪者」だと言い訳するようなもので、たいへん空しい。無論、もし不祥事を起してしまったなら、臭いものにふたで完全スルーを決め込むわけにもいかず、嫌でも誰かが弁明してやる必要はあるだろう。これは光市母子殺害事件のような凶悪犯罪における弁護と通じるものがある。いかに忌まわしき凶悪犯罪者であろうと誰かが弁護してやらねばならない…まぁ光市母子殺害事件の場合は、死刑反対の人権派弁護団が妙な生き甲斐をそこに見いだしてしまっていて、やる気まんまんのようだが…それにしても、空しい話だ。必死に弁護したところで大して報われないのだから。

少数民族の場合は、犯罪者などとは異なり、その地位を向上したいのであればもっとポジティブな、やりがいのあることが沢山ある。例えば、先述のように、スポーツや芸能、ビジネスなどの分野で逆境にめげず成功者になるなど。少数派を虐げられし、哀れむべき、守られるべき存在であると喧伝したり、不当な差別だと体制(他人)を非難するだけの運動は、どうにも腑に落ちない。「差別利権」などという批判もあるわけで、何より、そんなことだけに人生が費やされてしまっては悲しすぎる。差別と戦うことを生き甲斐にしてしまっているようなプロ市民の方々にはそれでも良いかも知れないが、当の差別されている少数派の人達にしてみれば、差別と戦うためだけに人生を費やすのは空しすぎるだろう。

まぁそうした付帯的な問題はおくにしても、秋山は純粋に総合格闘技選手としても外国人勢にパワー負けしない、ポスト桜庭の中重量級エースとして期待されていた日本人(アジア系)有望株だったから、ほんとうに残念だ。クリーム問題以外は言動も態度もなかなか殊勝だし、キャラ的にも悪くなかっただけに。

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