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Wednesday, January 16, 2008




谷川
サダハルンバ谷川
谷川貞治は少なくとも1987年の『格闘技通信』創刊以来20年以上も格闘技業界とは付き合って来ているのだから、そこらの格闘技オタクとは比べ物にならないくらい格闘技に精通しているはずである。にもかかわらず、特に試合解説やテレビメディアでの彼の発言は、まるで最近格闘技ファンになったばかりのミーハーな人間がするような、実に浅薄な行き当たりばったりなものが多い。

例えば「ブラジリアンキック」だの「ロシアンフック」だのといった流行の用語をよく使用する。そういうキャッチフレーズは素人には認識しやすいが、実際の格闘技の試合はゲームや漫画、プロレスじゃあないのだから、そんなものを何かの必殺技であるかのようにしたり顔で強弁されても間が抜けているようにしか聞こえない。

また、ベルナール・アッカ、ボビー・オロゴン、ジョニー・モートンら話題作りのために素人同然の有名人をリングに上げておいて、あたかもそれ相応の実力(「潜在能力」)があるように語ったりする。自身がK-1の興行側の人間であるから、K-1で推している選手を良く言うこと自体はまぁある程度は理解できる(鬼塚ら協栄関係者が亀田の素行を大目に見るように)が、谷川のそれは度が過ぎる。

プロレスの場合はショー的要素が大きく観客論というものが成立するので、個々の選手の評価も評者の観点によって変わることがある程度許されている。だからターザン山本のような評論家がある選手を評価すれば、仮に他の人々が同選手を低く評価したとしても、ターザン山本という識者の評価として(それを裏付けるターザンのプロレス論とセットで)ある程度尊重される場合が多い。一方、格闘技の場合は第一にスポーツ競技であり、試合解説は客観的な技術論や選手の身体能力にほぼ終止する。プロレスではカリスマ性であるとか魅せる試合をするといったことが第一だが、格闘技ではそうしたことは二次的要素でしかない。弱い格闘技選手はいかに魅力があろうと話題になっていようと格闘技選手としては評価しないのが当然であり、そのような選手を過大に評価すれば単純な事実誤認でしかない。

谷川には特筆すべき格闘技経験が無い。スポーツの試合において、自身がその競技の経験者でないならテレビで解説など普通しないだろう。巨人戦をナベツネが解説するようなものだ。谷川の発言の薄さは、自身の主張を裏付ける格闘技経験の欠如と、格闘技の試合にプロレス的視点を持ち込むことの異質感にあるのかも知れない。

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